2011/07/17

ボランティアツアーで宮城県亘理町へ

 7月8日の金曜の夜から、バスツアーで宮城県南部の亘理町〜山元町へ復興支援のボランティアに行ってきた。この一帯は苺の名産地。宮城県の苺の出荷量は東北でトップで、年間産出額は60億円弱。多くの農家の方々が苺で生計を立ててられる。今回はその苺農家へ復興支援のお手伝いに行かせてもらった。
 
 この一帯の苺農園も津波の被害に遭って、再び苺を育てるために泥の掻き出しをしなければならない状態だったけれど、私のグループは既に泥の掻き出しが済んだ苺農園へ行き、苗付け用に苺の苗をカットする作業をすることになった。


 苺農園へ行く途中、津波の被害が深刻な一帯をバスは通り抜けた。

バスから見る津波の痕跡。家は破壊され、家ごと全部が流された家の跡には土台だけが残っている。

 コンビニは骨組みだけがかろうじで残っている。

 瓦礫の山、倒れた電信柱、破損した車、散乱する生活用品。



 あまりに広範囲の土地が津波に襲われたのだと、自分の目で見て再認識した。


 そんな風景を通り抜けて到着した苺農園。
 今回作業をさせて頂いた農家は3世代家族。
 幼稚園と小学校に通う子供3人と、近所の子供たちがビニルハウス横に建てられた部屋に集まって、絵を描いたりして仲良く遊んでいた。


 宮城県の苺農家は「もういっこ」という高級ブランドを栽培していて、おいしい、大きな苺ができれば高値で取引される。だから、少しでもおいしい苺ができるように、とお母さんたちは休みの日も休まずにがんばっていると仰ってられた。
 苺が一番高値で取引されるのがクリスマスの時期で、クリスマスまでに出荷できるよう、ピッチを上げて栽培していこうと考えてられる。



 私たちは早速、農家の方から簡単に説明を受け、実際に苗を切ってどんどん取り分けていく。
 この日の気温は、仙台でも34度近くまで上昇。東北でも夏の昼間はとても暑い。

 苺の苗切りは初めてなので、最初は自分のやり方が正しいのかわからず、戸惑いながらの作業だったけれど、そのうち段々と慣れてきて、皆の作業スピードもどんどん上がっていった。



 お昼休憩のときに、農家の皆さんに津波の被害状況の話を聞かせて頂いた。
 この農家の皆さんの自宅は苺畑からは離れた高速道路のふもとにあり、津波で全て流されてしまったそうだ。子供たちも大人の方々も明るく振舞ってられたので、そこまで被害が深刻だとは想像できなかったけれど、実際には車を除く全ての所持品を津波にさらわれてしまったのだ。「何にも残ってねぇ」とお父さんは仰ってられた。


 地震発生時はまさに苺の出荷作業をされていて、地震直後に車で近辺の親類を迎えに行き、避難したから家族みんな助かったと話してられた。


 近所の苺畑にいた人たちの中には地震後に自宅が気になって戻ってしまい、津波に襲われてしまった人がいると仰っていた。この苺畑一帯から海岸線は遥か遠く、肉眼では海を見ることはできない。
 「まさかここまで津波が来るとは思ってもみなかった」と仰っていた。


 幼稚園に通う真ん中の男の子が普段乗っていた幼稚園のスクールバスは津波に襲われ、先生と園児の9名が死亡・行方不明となった。男の子はそのことを伝える新聞記事を私たちに見せて「順子先生がね」と、一生懸命伝えようとして話してくれた。


河北新報
幼稚園バス濁流に 園児ら5人死亡4人不明 宮城・山元


 この男の子は家族が車で早くに迎えに来てくれたからバスには乗っていなかったけれど、いつも乗っていた幼稚園バスが津波にのみ込まれて大破した写真が新聞に載っている。男の子はまだその現実を上手く理解できていない様子だった。


 本当に辛い経験をし、厳しい状況の中にいらっしゃるのだけれど、苺を育ててもう一度がんばろうとこの家族の皆さんは前向きに考えてられた。子供たちは一生忘れられないような恐怖を経験しているけれど、私たちの前では無邪気で明るく、とても元気だった。絵を描いたり、新聞を切って蛇やかぶとを作ったり、ジュースを飲んだり、それぞれの楽しみに熱中していた。


 女の子は大切にしてるシールをみんなにわけてくれた。男の子は津波で流れてきた亀を見せてくれた。お昼休みには津波で流されてきたサッカーボールでみんなで遊んだ。


 ボランティアに参加した人たちは普段から子供たちと接する機会が多いのか、子供たちに溶け込むのが上手い人ばかりで、子供たちもすぐに懷いて、楽しそうに遊んでいた。私たちと話をするときの顔は活き活きと輝いてた。


 大人だけだとこんなにすぐには立ち直れないかもしれない。でもきっと、希望を感じさせてくれる子供たちがいるからこそ、親御さんたちは自然と前を向こうと思えるのだと思う。
おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんは私たちに丁寧に津波や苺畑の状況を話してくださった。


 生活費にも困っている状況だろうに、ご好意で休憩時に一人一本ずつ、差し入れのジュースを買ってきて下さった。そのときは有り難く頂戴したけれど、東京に戻ってきてからその一本のジュースの価値の大きさを改めて感じた。


 ボランティア初心者の私が半日お手伝いをしただけでは、作業的にはほんの僅かな助けにしかならないと思う。けれど、たとえお手伝いは微力であるとしても、被災された方々と実際に会い、話を聞かせてもらえたことだけでも、今回参加させてもらって良かったと思ってる。東京に戻ってから、改めて亘理町のことをネットでいろいろ調べた。震災関連のニュースに対する自分の接し方や感じ方が変わった。


 ニュースがより身近に感じられ、その都度、農家の方々の顔が頭に浮かぶ。余震があれば心配になる。亘理町は福島県に近いから、子供たちへの放射線の影響も気になる。


 おいしい苺ができたとしても、「原発の問題が収まってくれないとどうしようもない」と仰っていた。農家の方々は原発の心配があるからといって、畑を放って別の場所へ簡単に移り住むことはできない。仮設住宅が整い、避難所生活の人がいなくなっても、原発の問題はこれからもずっと続く。


 何といっても、冬から出荷する苺に、家族の1年間の生活がかかってる。


 東北地方の農家の家族の皆さんと触れ合う機会も、こんなことがなければ経験できなかった。これからも、自分にできる範囲で支援を続けていこうと思う。

2 件のコメント:

  1. 津波で流されて来た亀と遊ぶってちょっとドラマだなあ。。
    お疲れ様でした!!

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  2. うん、私もそこは聞き直したもんね。「え、津波で流されてきたの?!」って。
    りえちゃんこそ、お疲れ様でした。りえちゃんに声掛けてもらわなかったら行ってなかったよ。ありがとね。

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