2012/08/25
SUMMER SONIC 2012 @幕張 2012/8/18
GRIMES
イギリスのレーベル、「4AD」から最新アルバムをリリースしてるカナダの宅録系女性アーティスト。ジェケ写のゴス風のイメージから、気にはなるけど敢えて積極的にアルバムを聴いたりはしてなかったのだけど、ライブ観てすっかり好きになった。
ライブは彼女と、キグルミをかぶったもう一人の男性がメイン。
Grimesは歌いながらキーボードと機材を操作。
エキセントリックで圧倒的な個性を感じさせる佇まい、高音で浮遊する歌声、自ら機材を操って作曲する才能。個性的でありながらポップな楽曲、同性から見てもかっこよくてキュートなキャラクターは、少しBjorkをも想起させる。
これはPitchfolk Festivalの映像。
日本からもこういう圧倒的な個性と才能を併せ持つ女性アーティストが出てきたら、大分音楽シーン全体がおもしろくなると思うんだけど。
CDで音だけ聴くより、生でパフォーマンス観た方が断然魅力が伝わってくるタイプのアーティストだと思う。日本の女性の音楽リスナーに、もっと聴いてもらいたいです。
SBTRKT
これまでにRadioheadやM.I.A、Gorilas等のミックスを手がけてきた音楽プロデューサーがSBTRKT名義で2011年にデビュー・アルバムをリリース。公の場で顔は一切みせず、ライブでもお面をかぶってパフォーマンスするという、謎に包まれたアーティスト。
デビュー・アルバムは各メディアでも絶賛され、昨年のFUJI ROCK FESTIVALでも来日している。
時間帯的に、MOUNTAIN STAGEのPASSION PITと重なってたので、観客は予想していたよりも少なめ。ただし、SBTRKTが登場した時の歓声からは期待度の高さが伝わってきた。
ソウルフルで上質でセンスの良いクラブ・ミュージック。大人も楽しめるダブステップ。
アルバムで聴く以上に、ライブではソウル/ファンクの要素を強く感じた。
彼はSBTRKT以前は、クラブジャズ・シーンで活動していて、Aaron Jeromeとしてアルバム『Time To Rearrange』をリリースしている。
SBTRKT名義ではアーティストとしては「新人」の部類に入るけど、作品だけでなくライブパフォーマンスでも既に安定感と余裕を感じさせた。
ライブではパーカッションを強調したアレンジも聴かせ、観客を盛り上げる。
UKグライム・シーンで注目される女性シンガー、Roses Gaborをボーカルにフィーチャーした『Pharaohs』はライブ映えするダンス・トラック。
Little Dragonのユキミ・ナガノをボーカルにフィーチャーしたこの曲も披露。
トラックの演奏に関しては申し分ないパフォーマンスだったのだけれど、ボーカルをフィーチャリングしてる楽曲では録音されたボーカルを流していたので、やはりどこか物足りない感じは否めなかった。フィーチャリング・アーティストもその場で生の歌声を聴かせてくれれば、完璧なライブだったと思う。
Passion Pit
SBTRKTの途中で、Passion Pitを観るためにMountain Stageへ移動。
SBTRKTは大人の余裕を漂わせるクラブミュージック。それと対照的とも言えるPassion Pitのライブは、会場に足を踏み込んだ途端に浮き足立つような高揚感に包まれていた。色で表現するなら、黒のSBTRKTに対して、Passion Pitはピンク。
Passion Pitのライブは、一言で言えば「ピースフル」。
ああ、音楽ってやっぱりいいな、と思わせられたライブだった。
Passion Pitはナードな大学生5人組の、宅録系エレポップ・バンド。「ナード」があまりに宣伝文句になってるイメージだったけれど、ライブ観てその宣伝文句が誇張されたものではなかったのだと知った。ドラムのメンバーはメガネ(おしゃれメガネじゃない)を掛けてるし、他のメンバーも全く売れてるアーティストっぽさ、洗練された感じがない。どこにでもいそうな、内気な学生風。
また、ボーカルでソングライティングを手掛けるマイケル・アンジェラコスは、躁うつ病を持病に抱えていて、ライブをキャンセルせざるを得ない状況になることがこれまでに度々起こってる。今回のサマソニ直前の海外での公演もいくつもキャンセルとなっていて、今回来日できるのか非常に不安視されていたはず。
けれども、この日は無事来日し、幕張のステージに立ち、非の打ち所が無い素晴らしいライブを完璧にやり切ってくれた。来日してくれたことだけでも、ありがとうと言いたい。あのファルセット・ボイスを始終、力の限り振り絞って全力でパフォーマンスしてくれた。
そんな内向的なキャラクターの彼らが生み出す音楽が、オープンでドリーミーでとんでもなくポップであるということに、感動させられる。音楽が人と人を繋げて聴く人を一つにする。彼らのライブを観て、幸せな気分にならない人はそうそういないだろう。
ステージ後方には、太陽の光の中で天を仰ぐ腕が映し出されているセカンドアルバムのジャケット写真が掲げられていて、あのイメージが彼らの今向かっている方向を全て表してると感じた。
終盤、前の方の観客は曲に合わせてぴょんぴょん跳ねていた。
そして、キラーソングの『Sleepyhead』のイントロが始まると、悲鳴に近い歓喜の声に包まれる。『Sleepyhead』から『Little Secrets』へ。観客は大合唱で、最高にハッピーなムードに包まれたままライブは終了。
Passion Pitの楽曲は、ライブで聴いて改めてそのポップネスの完成度の高さを感じた。どれもシングルにできるほど、キャッチーなメロディー。
ファンとしては、マイケルの持病がいい方向に向かってくれることを願うばかり。次回の来日公演が決まったら、恐らくチケットは即完売するんじゃないかな。
Death Cab For Cutie
サマソニにこれまでも出演しているデスキャブ。
アメリカ・インディーシーンの雄というイメージが強い彼らも、サマソニのラインナップの中ではもはやベテラン勢に入る。サマソニのお客さんの平均年齢は20代と思われるけれど、デスキャブの観客は明らかに30代以上の人たち、長年デスキャブを聴いてきたと思われる人たちが多かった。
この日のライブは新旧の楽曲を織りまぜた構成。
デスキャブの楽曲は決して派手さはなく、ボーカルのベン・ギバードの繊細で温かみのあるボーカルと、腕の確かなバックのメンバーが紡ぎ出す緩急の効いたギターサウンドがリスナーの胸にじんわりと広がる音楽性が本国アメリカのみならず、ここ日本でもデビュー以来長年に渡って熱烈なファンを獲得している。
ライブでも、特に観客を盛り上げるような派手なパフォーマンスはないけれど、彼らのペースでじわじわと観客の感情を震わせる。
彼らの楽曲は、『A Movie Script Ending』のPVのような、誰もが持っているであろう若い頃の特別な思い出を聴く人の頭に鮮やかに蘇らせる。
忙しい毎日の中で忘れかけていた、あったかい気持ちを思い出させてくれる。だからこそ、Death Cab For Cutieというバンドは、ファンの一人ひとりにとってかけがえのない存在であり続けるのだと思う。
サマソニ終わってから、久しぶりに彼らの作品を聴き返した。
Sigur Ros
この日のトリを締めくくるSigur Rosのステージ。Sigur Rosとしては2008年の単独公演以来、約4年ぶりとなる来日。
2008年にリリースした前作『Med Sud I Eyrum Vid Spilum Endalaust』は、それまでの作品から大きな変化と告げた異色の作であったけれど、最新作では再び元の作風に回帰した彼らが、ライブではどのような展開を繰り広げるのか。そういったところに大きな注目が集まる中、彼らは登場し、静かに音が鳴り響き始めた。
前回に観たSigur Rosのライブは、FUJI ROCK FESTIVALのホワイトステージのトリとして夜の10時頃から始まったステージだった。夏とはいえども、夜の苗場はかなり気温が下がり、半袖だと身震いするほど。自然に囲まれたホワイトステージの壮大な雰囲気の中で、ひんやりとした空気とともに鳴り響く彼らの音像の幻想的な美しさは、今も鮮明に覚えている。彼らのライブを体験する上で、これ以上ない最高のシチュエーションだった。
今回はMountain Stageの屋内という環境。ステージには3つの大きなスクリーンが配置されていて、抽象的な映像が流れる。ホワイトステージのような自然に囲まれた環境ではないけれど、彼らの演奏を聴くだけで大自然の風景が頭に浮かんでくる。そして、彼らの演奏力、表現力という点においては、やはり前回よりも数段アップしていると感じた。
一つの山場となった『Festival』では、前半のパートで一切の音が一瞬消え、ヨンシーの歌声だけが会場に鳴り響く場面があり、静寂で神秘的な世界に引きこまれた後、弾むように楽器が一斉に鳴り始め、まさに歓喜の声が会場から上がった。
その後は『Olsen Olsen』を挟んで、『Hoppípolla』のイントロが鳴り始める。やはり、Sigur Rosの数ある楽曲の中でもこの楽曲は格別にドラマティックであり、ファンにとっても特別な想いが詰まっているようだった。
ラストは2002年リリースのアルバム『( )』からの『Popplagið』。壮大で激しく、厳か。この楽曲を聴いていると、自然の前ではいかに人間が弱く小さな存在なのか、ということを感じる。彼らの音楽は、自分たちの好き勝手にしてこれ以上自然を怒らせるなと、世界中に警告を発しているように思える。彼らの自然に対する考え方については、インタビューやビデオを通して感じ取っていたけれど、やはり今の日本のこの状況の中で『Popplagið』を聴いていると、いかに私たち人間の生活を便利にするといっても地球上の全ての生命に危害を与えるようなもの、つまり原発は一刻も早く止めなければいけないのだと、今の日本に訴えているようにも感じた。
正直言うと、私は昨年の原発事故が起きるまで、彼らの曲から「原子力」についてを想起したことはなかった。けれど、改めて振り返ってみると、彼らはこれまでに『untitled #1 (vaka)』のPVでも、毒ガスマスクを付けた子供と核戦争後の世界を想起させる映像を用いている。
言葉で明確に何かを訴えているわけではない。けれど、彼らの音楽は聴く人の感情にダイレクトに訴えかけ、想像力を掻き立てる。
彼らの音楽が警告してくれているうちに、取り返しが付かないようなことになる前に、私たちが変わっていかなければ。そんなことを感じさせるライブでもあった。
『Popplagið』でこの日のステージを締めくくった後、サポートメンバーも一緒に全員が舞台に再び登場し、皆で肩を組んで一礼。会場全体から止むことのない拍手が鳴り響いた。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿